【閲覧注意】毒親との最終決戦。その一部始終を赤裸々に公開します

どうも、こんにちは。東大卒恋愛コンサルタントのAPPLIです。
先日実家に帰り、宣言通り毒親問題を卒業するための最終決戦を終えてまいりました。
今日はその一部始終をお届けできたらと思います。
「なんのこと?」と思ったあなたはこちらの記事を読んでね。
書きながらめっちゃメンタルに来るものもありましたが、これは時間をあけると書けなくなると思い、多少AIの力も借りつつ、この問題を成仏させるためにも一気に書き切りました。
毒親育ちで毒親に耐性のある僕でもメンタル削られる内容なので、完全に閲覧注意ってことにしておきます。
読者にサードインパクト級の衝撃を与え、「途中まで食べていた晩飯がノドを通らなくなり、涙腺崩壊した」との感想までもらった僕の離婚劇よりもインパクトが大きいかもしれません。
なので、読むときは自己責任で読み進めてくださいね。メンタル持っていかれても責任は取れません。
母親、彼氏との同棲を解消する
(↑この見出しがまあまあなパワーワードですよねw)メンタリストYuZuKiさんとの打ち合わせを終え、その後の会食を終えて実家に向かった僕。
今回の帰省の目的は、ただ1つ。
母親の引っ越しを手伝うこと
ついに母親と彼氏(通称”おっちゃん”)が6年以上も続いた同棲生活を解消して、妹との共同生活(?)をスタートすることになったのです。
僕から「支援はするから1年以内に決断を下せ」と期限を切っていたのと、男手があったほうが助かるだろうと思ってのお手伝いです。
玄関を開けると、段ボールの山が・・・と思いきや、ゴミ袋に詰められた荷物たち。
「段ボール買えよ」と思いましたが、それすらもったいないと思うくらいの経済状況なのでしょう。
軽ワゴン車を借りたのですが、1往復で十分こと足りるほどの荷物量でした。
まあ、地方の小さなワンルームなのもありますが、同棲解消も意外とあっけないものですね。
母「ごめんねぇ、手伝ってもらって」
・・・なんてことを、もちろん言うような親ではありません(苦笑)
「ありがとう」も「ごめんね」もそこにはありません。それがデフォ。
「はい、運び出すよ〜」くらいのテンションです。
もうこれを30年以上続けてるので、今さらなんとも思わないけど、冷静に考えるとおかしいですよね爆
そして、その空間に”おっちゃん”の姿はありませんでした。
一応、手土産まで買って「お世話になりました」と挨拶するつもりだったんですけどね・・・
定年を迎え、といっても自営業なので働こうと思えば働けるのに、もうほとんど働く気力すら起きないおっちゃん。
そう思わずにはいられませんでした。
だからこそ、子育てとか結婚とか、そのもっと手前のたかだか恋愛くらいで「俺には向いていないかも」と逃げてる場合じゃないのです。
あなただって、”おっちゃん”みたいな老後は迎えたくないでしょう?
まあ、一応このあと僕宛にSMSは来てましたけどね↓
はい、超あっさり。お供え物ちゃうけどな笑
まあ、母親とおっちゃんが付き合い始めてから20年近く、家族ぐるみの付き合いになっていたのでお世話になったのは事実。
20年近くも長い期間付き合っておいて、最後は顔すら合わせない
これが毒親たちの生態です。勉強になりますね、はい。
13年物のビンテージランドリーを買い替える
(ちょっと箸休めパートです。つまらんかったら読み飛ばしてください)荷物を実家のマンションに運び入れ、疲れた身体で今度は祖父母を車に乗せます。
スーパーで晩御飯の買い出しを終えたあと、向かった先は家電量販店のJoshinでした(関西以外の人、ジョーシンって知っていますかね?)

そんな内容のLINEを妹から何度もらったかわかりませんが、実家の洗濯機がうんともすんとも言わなくなっていたのです。
ラベルを見ると2012年製造。
13年物のビンテージランドリーです笑
そりゃ壊れても仕方ないですよね。
無駄に明るい音楽と、やたら明るい蛍光灯が支配するJoshinの店内。
当然、母親の給料で出せる金額は限られているので、できるだけ安いものを選びます。
(昔の僕なら出してあげていたでしょうが、もうそういう相手を依存させるような援助はしないと決めているので)
幸いにも阪神タイガース優勝セールで少しだけ安くなっていたので、割と良い買い物ができたんじゃないでしょうか?
分割払いにするためクレカを発行するのに想像以上に時間がかかり、車の中で待っていたじいちゃんが冷房で身体が冷えたと言っていたのはネタですね(笑)
いよいよ晩飯時、いざ毒親との最終決戦が始まる!?
スーパーで買った惣菜や出前をお願いした寿司たちが、ばあちゃん家の食卓にズラッと並びます。
僕と母と祖父母と妹。
一通り食べ終わったら、いざ最終決戦!!!
と思っていたのですが、さすがにこの日は心身ともに疲れて果ててしまい、何もできなかったですね。
そもそも同棲を解消すると言いながら、引き続き通勤にはおっちゃんの車で送ってもらうつもりらしいし。
そうやって小言を言い続けても、「はいはい」みたいに軽く流されることが何度も続きましたし。
打てども打てども響かない、その感じ。
ただでさえ車借りて、引っ越しの手伝いして、運転して、車返して・・・とフツーに疲れてました。
なので、夜はぐったりとベッドに倒れ込みましたね。
ただ、本題を切り出せなかった自分が、情けなかったです。
これでは「逃げた」と言われても仕方がありません。
このままでは、調査兵団の二の舞いになってしまう・・・

これはあかん笑笑
このままじゃブログに書けることもなくなる。
というか、これ以上この毒親問題に貴重な人生における時間を奪われたくない。
あと高らかに卒業宣言しておいて、これはマジであかんw
もともと母親が休みを翌日まで取っていると知っていたので、ここからリベンジを図ります。
「第1回家族会議を始めます!」
翌日の晩ごはんタイム。
今度は祖父母の家ではなく、長年妹だけが住み続けたガチ実家にてリベンジします(実家と祖父母の家は距離にして徒歩5分くらいのところにあります)
テレビのバラエティ番組が、わざとらしい笑い声を撒き散らしています。
まだ夜ご飯を食べ始めて30分も経っていない頃、ちょうど話の流れでこんな会話になりました。
AP「そう言えばさ、俺が小学校3年か4年生くらいのときかなあ。急に態度が冷たくなったことあるけど、なんで?」
母「ええ〜、覚えてへんわ」
AP「めっちゃ寂しかってんけど!」
母「お母さんもあのときはお父さんが事業うまく行ってなくていっぱいいっぱいやってん」
といつもの調子。
が、「今がチャンスだ!」そう思い、高らかに宣言しました。
まあ、バチバチにケンカしたことは過去に何度かありましたが、正式に家族水入らず3人だけで会議するのは初めてだった&一応新しい門出でもあったので「第1回」です。
僕がこの日のために用意してきた議題は、いろいろありますが
まずは、母親が20年近くもの間、この家の様々な問題から目を背け、放置してきたことへの責任についてです。
もともと積年の怒りや恨みをぶつけてやろうと、ブチギレる心づもりだったのですが、意外と冷静な自分がいました。
よくよく考えたら過去にもう何度も母親にはブチギレてきたので、半分くらい諦めがついてるんだと思います。たぶん(あと、“おっちゃん”にも1回ブチギレてます)
母親の反応は事前に予想していた通りです。
「あのときは仕方なかったのぉ」と泣き出したり、冗談でのらりくらりとかわしたり、です。
以前の僕ならその態度を見て怒りに火がついていたでしょうが、なんかもう予想通りすぎて逆に冷静、みたいな。
そこで次は、妹に視線を移しました。
ずっと”ある症状”に悩まされている妹。
ちょっとここには書けないですが、その“ある症状”にプラスして、パニック障害+自身の体臭・口臭への過剰な恐怖+頚椎の歪みから来る身体の痺れ
・・・絶望と言う名のスープを煮詰めたかのような絶望コンプリートパックです。
(※できるだけ明るい表現を心がけていますが、さすがにコレを書いててメンタルダウンするレベルでヤバいです滝汗)
(※ちなみに以前はこれにプラスして拒食症で体重28kgまで落ちて病院送り→死にかけたこともあります)
そこで僕は、妹にこんな質問を、投げかけました。
妹は、しばらく黙っていました。
そして、ポツリと、小さな、震える声で言いました。

その言葉は、重力を持って、食卓の真ん中にズドンと落ちました。
僕は、さらに核心に迫ります。
妹は、ゆっくりと、一度だけ頷きました。
これが意味するものが「YES」であることは言うまでもないでしょう。
当時、妹はまだ小学校6年生。まだまだ親に甘えたい、これから思春期という多感な時期を迎える少女です。
その瞬間、僕の心の中で、何かが音を立てて崩れ落ちました。
ずっと気づかないふりをしていた、パンドラの箱が開いてしまったのです。
思えば、妹の口から直接このセリフを聞いたのは僕も母親も初めてです。
いや、正直言うと、予想はしていました。
妹の病気が発症したキッカケは、それ以外説明がつかないですから。
ただ、予想がついていたとはいえ、これまでホンネを言うことのなかった妹本人の口から直接聞くというのはまた格別ですね・・・
その間も、母親は黙っていました。何を思ったのかは分かりません。
でも、これで少しも心が痛まないのなら、もう彼女は人間ではありません。
まあ、過去の行いを思えば、もうとっくに人間ではないのかもしれませんが。
本当の「第1回家族会議」を終えて
第1回家族会議が終わった後も、僕の心は妙に冷静でした。
だから「意外とそんなに精神的ダメージは負っていないのかな??」とタカを括っていたのです。
でも、やっぱりそんなわけもありませんでした。
実際はかなりメンタル持っていかれていたんでしょう。
今振り返ると完全にどうかしていたなと自分でも思うような言動のせいで、人を激怒させてしまったのですが、それはまた別のお話。
結局、実家での第1回家族会議では、伝えたいことの半分も伝えきれませんでした。
だから、僕は母に向けて手紙を書くことにしました。
もともと伝えたいことはメモ帳に書き溜めていたのですが、それでもまだまだ出てきます。
母親への怒り、悲しみ、そして、諦め。
そんな内容を書き出せば書き出すほど、ブーメランのようにその言葉が自分に突き刺さってくることに気づきました。
母親を断罪する言葉が、そのまま僕の罪を告発する言葉に変わっていきます。
その感覚は、ひどく複雑で、気持ち悪くて、でも、どこか腑に落ちるものがありました。
その手紙を書き切る頃には、僕の心は、あれだけ渦巻いていた感情が嘘のように落ち着いてスッキリしていました。
「感情は紙に書き出すと落ち着く」というのは本当なんですよね。
だからもう、この手紙は渡さなくてもいいかもしれない。
そんな考えが僕の脳裏をよぎりました。
でも、迷った末に、僕は「やりきる」ことを選びました。
そのほうがこうしてブログネタにできるからというのもありますが(苦笑)
そんな決意を固めるためでもあります。
祖母に「お母さんに渡しといて」とだけ告げて手紙を預け、母親にはLINEで手紙を連休前にでも受け取ってくれ、と連絡しておきました。
妹に見られるとマズイ内容だったのと、手紙を受け取るかどうか、その選択を母親自身にしてほしかったからです(これで受け取らずにまた逃げるようなら、非常に残念で仕方ないですが、それまでです)
手紙の内容は、またいつの日か公開できたら面白いかもしれません。
まあ、いろんな意味で今すぐは無理ですけどね。(苦笑)
なのでやっぱりそんな日は、永遠に来ないかもしれません。(滝汗)
「もう決して元に戻らないものもある」それでも僕らが進む道
物事は100点満点の理想通りには進みません。
僕が母親に直接ブチギレることもなければ、同棲を解消してきっぱり母親が彼氏との縁を切るわけでもなければ、妹に向き合って「ごめんね」と抱き合ってくれるわけでもありません。
現実は、脳内で描いたようなシナリオ通りには進まないものです。
先日から何度もブログやメルマガで『タコピーの原罪』を紹介していますが。
その最後に、こんなセリフが出てきます。
「してあげられないことだらけだ。
君たちの離れてしまった家族や、もう戻らない心。
もう君を見ないママに
君だけのものじゃないパパ。
何にもできないけれど、それでも君が、君が、君が!
もう1人じゃない君たちが、きっと大人になれるように」
「もう決して元に戻らないものもある」
「過ぎ去った時間はどうやっても戻らない」
そんなことを教えてくれる良作だと思います。
母親も、妹の心も、決してあの頃のようには戻りません。
どんなハッピー星人の、ハッピー道具を使ったとしても、もとに戻らないものは戻らない。
それが現実です。
100点じゃないけど、100点になる日はきっと来ないのかもしれないけど。
一歩ずつ進んで、一歩ずつ負債を返済していくしかありません。
それは母親も、僕も。あるいは妹も。
妹にそれを求めるのは酷ですが、きっと妹自身も、いつかその負債と向き合わなければならない日が来ます。
そして、妹も今は就労支援の作業所に通い始めたところなので、いろいろ相談に乗っておきました。
僕に大したアドバイスはできないけれど、今後少しでも自立するためにできる最大限のアドバイスはできたかと思うし、今後もできる範囲でサポートはしていけたらと思っています。
これは、親から借金を引き継いでしまったら、それが自分の借金じゃなくても返済義務が生じるのに似ています。
理不尽ですが、でもそれが受け入れなければならない現実なのです。
帰りの電車にて。ある人物からのメッセージに涙腺崩壊
僕は、電車に乗りながら、スマホを取り出しました。
僕がLINEを送った相手は僕の、母親の妹。つまり、叔母です。
実は、第1回家族会議の前日、叔母とは少し話して今の心の内などを電話で伝えていたのです。
母親もいつまでも今の仕事は続けられず、妹も今後どうなるかもわかりません。
将来、それがホンモノの負債として僕にのしかかってくることもあるでしょう。
そのとき僕が1人で問題を解決できるなら良いですが、きっとおばを頼ることもあるかと思います(叔母は僕と血縁関係がある人間の中で、唯一まともな人間です)
これがまともな人間・まともな大人の対応ですよね。
この返信を見て、電車に乗りながら泣きそうになったのはここだけの話。
「ああ、最初から、こうしていればよかったな」と。
なぜ、今まで一人で抱え込んでいたのでしょうか?
その理由は、きっと、前回の記事で書いた毒親育ちの特性にあります。
でも、今はもう違います。一人で戦う必要はありません。
頼れる人がいるのなら、頼ればいいのです。
助けてほしいなら、素直に「助けて」といえば良いのです。
それは、恋愛も、人生も、きっと同じなのでしょう。
日本では「人に迷惑をかけるな」と教わりますが、そもそも人間なんて迷惑のかけ合いで成り立っているわけですから。
そんなことを悟ったところで、もう時は巻き戻らないし、取り返しのつかないこともたくさんあるけれど。
少しだけ、僕の心は軽くなったとさ。おしまい。
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