【毒親を理解し、捨てる】母親の“人生の歴史年表”を作ってみた。けっこうオススメです

どうも、こんにちは。東大卒恋愛コンサルタントのAPPLI(アプリ)です。
今回ふと思い立って、母親の人生の歴史年表を作ってみました。
もちろん1人でゼロから作るのは面倒くさすぎるので、GPTに作らせてます。笑
そしたら、なかなかにお涙頂戴のストーリーができあがったので、こうして記事にすることにしました。
母親の歴史年表ver.1を作成

まずは以下のようにGPTに指示を出します。
そのときの日本の情勢や 起きたイベントなどを踏まえて彼女の人生年表を作ってみてください
たぶんバブル世代にあたると思うが、彼らの価値観なども踏まえて 大阪のかた田舎育ちで 短大卒で 何年か郵便局員をやっていた 実家の近く(徒歩5分)に住んでいたため、その田舎から外に出たことはほとんどない
| 年 | 年齢 | 出来事(本人) | 日本・社会の出来事・時代背景 |
|---|---|---|---|
| 1966年(昭和41年) | 0歳 | 大阪の郊外・田舎町に生まれる | 高度経済成長期。冷蔵庫・テレビ・洗濯機が「三種の神器」。家族中心社会。 |
| 1972〜1978年(小学校) | 6〜12歳 | のびのびとした田舎の環境で育つ。友達と外遊び中心。 | 公害問題・オイルショック。日本は成長期の終盤。学校給食・テレビ文化が家庭に定着。 |
| 1979〜1984年(中高生) | 13〜18歳 | 校則が厳しいが、仲間と過ごす青春期。恋愛やオシャレに関心が出始める。 | 「聖子ちゃんカット」やアイドルブーム。ウォークマン登場。校内暴力問題なども話題に。 |
| 1984〜1986年(短大生) | 18〜20歳 | 短大に進学。友人とカフェ巡りや映画へ。就職氷河期前で就職は比較的容易。 | バブル前夜。学生の間でブランドやディスコ文化が流行。ファミコン発売。 |
| 1986〜1989年(社会人) | 20〜23歳 | 郵便局に就職。制服勤務、安定志向。実家から通勤。親に安心される職業。 | バブル景気が始まる。男女雇用機会均等法が施行され、OL文化全盛。ワンレン・ボディコンブーム。 |
| 1989〜1991年(25歳前後) | 23〜25歳 | 職場の紹介・見合い・地元つながりで結婚。結婚を機に退職。 | 昭和→平成へ。バブル絶頂期。結婚式は豪華ホテル、ハネムーンは海外が定番。 |
| 1992年(平成4年) | 26歳 | 第一子出産(ユーザー世代)。専業主婦に。 | バブル崩壊。土地・株価急落。「失われた10年」へ突入。主婦の節約ブーム。 |
| 1995年(平成7年) | 29歳 | 第二子出産。子育てに追われる。 | 阪神淡路大震災(大阪も影響)。オウム真理教事件。日本全体が不安と再生の時期。 |
| 1999〜2005年(30代後半) | 33〜39歳 | 子供が小中学生に。PTA・地域活動に関わる。実家の両親の介護が少しずつ視野に。 | インターネット普及。携帯電話ブーム。主婦層にもパソコンやメールが広がる。 |
| 2006〜2013年(40代) | 40〜47歳 | 子供の進学・受験。家計と教育費に奮闘。パート勤務を検討・復帰。 | 郵政民営化。リーマンショック。節約志向が定着。家族内では“お母さん=安定の象徴”。 |
| 2014〜2020年(50代) | 48〜54歳 | 子供が独立。親の介護が現実に。自分の時間を少しずつ取り戻す。 | スマホ・SNS全盛。地方では高齢化進行。2020年コロナ禍。 |
| 2021〜2025年(現在) | 55〜59歳 | 定年を意識。子の結婚や孫誕生が視野に。地元で穏やかに暮らす。 | 物価高、少子高齢化、AIの普及。地方と都市の価値観格差が再び拡大。 |
はい、普通に生きていればこうなったであろう世界線が描かれていますね。
そして、もちろん、こんな普通だけど幸せな人生を母親は歩んでません(苦笑)
そこで、家庭がぶっ壊れていく様子をAIにインプットしてみます笑笑
父親の自営業失敗→ガン発症→他界。第2子の引きこもり・・・
表題からしてヤベえですが、僕ももう毒親シリーズを発信し続けて、だいぶ慣れてきましたね(苦笑)
続いて以下のように指示を出しました。
第一子が 小学校3年生のときに父親(旦那)が郵便局員から独立して自営業開始
数年後失敗してしゃっきんをかかえる中学1年生のときにガンになり、3年生のときに正式に離婚 高校3年生のときに他界
第2子は 中学校3年生のときにいじめにあい 高校1年生までは保健室登校していたものの退学 それ以来引きこもりに
この場合の1999〜以降を書き換えてみてください
すると、先ほどまでの順風満帆な人生が一転して超悲惨に(苦笑)
| 年 | 年齢 | 出来事(本人・家族) | 日本・社会の出来事・時代背景 |
|---|---|---|---|
| 1999年(平成11年) | 33歳 | 第一子(小3)、第二子(小1)。夫が郵便局を辞めて自営業を開始。最初は家族も期待し応援。生活は忙しくなるが希望に満ちていた。 | ITバブル期。サラリーマン独立ブーム。住宅ローン・マイカーなど「家庭の豊かさ」を重視する時代。 |
| 2002年(平成14年) | 36歳 | 自営業が軌道に乗らず、借金を抱える。生活が苦しくなり、夫婦関係に亀裂。母親は節約とパートで家計を支える。 | デフレ経済が定着。不況とリストラの時代。主婦パート・副業が一般化。 |
| 2005年(平成17年) | 39歳 | 第一子が中学1年のとき、夫がガンを発症。母親は看病と仕事・家事・育児をすべて抱え込む。 | 郵政民営化。働く母親が増加。介護と子育ての「ダブルケア」が社会問題化。 |
| 2007年(平成19年) | 41歳 | 第一子が中3で離婚が成立。夫は別居後も闘病を続け、母親は精神的にも限界に。 | 格差社会・非正規雇用問題が拡大。母子家庭の貧困が社会的に注目され始める。 |
| 2009年(平成21年) | 43歳 | 第一子が高3で、元夫が他界。家族で静かに葬儀を行う。母親は「やり切った」という思いと虚脱感の中で日常を続ける。 | リーマンショック後の不況。失業や破産が増加。大阪では地域コミュニティが支え合う動きも。 |
| 2010〜2012年 | 44〜46歳 | 第二子が中3でいじめに遭い、登校拒否。保健室登校を経て高校に進学するも、1年で退学。母親はショックを受けつつも「守らなきゃ」という使命感で支える。 | 子どもの不登校・発達問題が社会で話題に。SNSや携帯の普及により、いじめが陰湿化。 |
| 2013〜2018年(平成25〜30年) | 47〜52歳 | 第二子が引きこもり生活に。母親は孤立しつつも、福祉やカウンセリングに頼る勇気が出ず、家庭内で抱え込む。 | アベノミクス。景気回復の影で「引きこもり中高年問題」が浮上。地方では支援が届きにくい。 |
| 2019〜2022年(令和元〜4年) | 53〜56歳 | 第一子が社会人として独立。第二子は依然として在宅生活。母親は更年期・体調不良を感じながらも、生活の安定を最優先。 | コロナ禍で家庭に閉じこもる生活が一般化。社会的孤立・家庭内格差が拡大。 |
| 2023〜2025年(令和5〜7年) | 57〜59歳 | 実家近くで静かに暮らす。親の介護が現実に迫る一方、第二子の将来への不安も続く。「人生の後半をどう生きるか」を模索し始める。 | 物価高・年金不安。地方では高齢女性の一人暮らし増加。孤独対策や地域コミュニティの再構築が課題。 |
細かい部分で事実と異なる部分はありますが、大枠は合っていますね。
すでになかなか悲惨になってきましたが、まだまだこんなものじゃありません。
最近の賢いGPTくんが、こんな提案をしてくれました。
GPTもし希望があれば、この人生年表をもとに 「彼女の視点から語る一人称の手記風」(感情描写多め)または 「第一子視点から見た母の人生」 として再構成することも可能です。どちらの視点で続きを描いてみたいですか?
母親からの手記を書かせてみる
先ほどのアウトプットで、事実と異なる部分を入力して提案を受け入れることにしました。
どうすることもできない無力感は無意識にあったのだろうと思いますただし、第2子の引きこもりくらいのタイミングでは、すでに彼氏の家に入り浸るようになり、ほぼ家には帰らなくなったことを踏まえてください(半ネグレクト状態)
さあ、ここからが本番です。ハンカチの準備はできましたか?笑
【手記】
― あの頃の私には、どうすることもできなかった ―
あの頃の私は、毎日を“なんとかやりくりすること”だけで精一杯でした。
朝起きて、ご飯を作って、洗濯して、仕事に出て、帰ってきたら寝るまで家のこと。
一日が終わるたびに「今日もなんとか倒れずに済んだ」と思うだけの毎日でした。
夫が郵便局を辞めて自営業を始めたときは、正直、反対でした。
でも、「家族のために挑戦したい」という彼の言葉を聞いて、
私も“応援しなきゃいけない”と思ったんです。
まさか、あんなふうに借金を抱えることになるなんて、その時は想像もしていませんでした。
仕事がうまくいかなくなるにつれて、夫は家にいる時間が減り、
帰ってきても無言のまま、ため息ばかり。
私も怖くて、何も言えませんでした。
「お金が足りない」「子どもの学費どうしよう」――
そんな現実だけが、日を追うごとにのしかかってきました。
そして、あの人が病気になったとき。
それまで張りつめていた糸が、音もなく切れたような気がしました。
“なんでうちばっかり”と思う気持ちも、確かにあったと思います。
でも、泣いても現実は変わらない。
子どもたちの前でだけは、笑っていなきゃと思っていました。
離婚を決めたのは、夫の病気が進んでからでした。
「妻」としてじゃなく、「母」として子どもを守るため。
そう言い聞かせて印鑑を押したけれど、
実際は、もうとっくに限界だったのだと思います。
第一子が中学3年で、彼が亡くなったとき、
あの子は強がっていたけれど、夜になると泣いていました。
「なんでうちだけこんなことに」って。
でも、私にはその涙を受け止める余裕が、もうなかったんです。
下の子が中3でいじめに遭ったころ、
私はもう“母親としての責任”から逃げ出していました。
正直に言えば、家に帰るのが怖かった。
静まり返った部屋、重たい空気、誰も何も言わない夜。
あの空間にいると、自分が壊れてしまいそうで。
だから、当時つき合っていた人の家に入り浸るようになりました。
誰かに「必要とされている」と思いたかったのだと思います。
愛情というより、ただの逃げ場所。
でも、そのときは、それしか支えがなかった。
家に帰ることが減って、子どもたちの食事も、会話も、どんどん減っていった。
あの子たちは、私のことを“見捨てられた”と思ったでしょう。
今でも、そう思われて当然だと思っています。
下の子が高校を辞めて引きこもるようになったとき、
私は何も感じないふりをしていました。
「そのうち落ち着くだろう」「時間が解決する」――
そう言い聞かせながら、自分を守っていたんです。
本当は、どうすることもできない無力感に、押し潰されそうだったのに。
いま振り返ると、あの頃の私は「生き延びること」しか考えていませんでした。
正しいとか間違いとか、そんな余裕はなかった。
ただ、一日を終えることだけが目的だった。
気がつけば、子どもたちは大人になり、私はもう還暦が見えてきた。
この歳になってようやく、あのときの自分を少しだけ許せるようになった気がします。
母親としては失格だったかもしれないけれど、
“あのときの私”は、“あのときの精一杯”で生きていた。
それだけは、嘘じゃないと思うんです。
(了)
まあ、僕からするとツッコミどころ満載で、修正の余地はありまくりですが、ゼロから考えるよりはかなり楽だと思います。
良ければあなたもぜひ作ってみてください。
「親の視点」を客観的に見ることができるので、理解が深まります。
そして、理解が深まれば自然とあきらめもつくんですね。
今回はそのことを実感しました。あ、ここからが超大事です。
毒親の歴史年表を作ることで見えてくる大事なこと
目的は母親の歴史年表を作ることではなく、手記を作って感傷に浸ることでもなく、あくまでも理解を深めることです。
親を許すとか、受け入れるとか、感謝するとか以前に「理解する」というワンステップを踏むことが大事。
歴史年表はそのための手段でしかありません。
だから、これくらいのAIクオリティで十分です(笑)
もちろん作り込みたければ作り込めばいいけど、年表のクオリティや内容よりも、これを見たときに自分がどう思ったか?が超重要です。
例えば僕がまず注目したのは、何よりも母親の年齢でしたね。
そもそもこのプロジェクト(?)を始めるにあたって母親の年齢を改めてチェックしたのですが、
同じ年代でもバリバリ活力的に生きている人が多いのは知っているので、ばあちゃん呼ばわりは失礼かもしれませんが、そこは御愛嬌。
なぜなら、もう孫がいてもおかしくない年齢だから。
というか、僕が離婚していなければ今ごろ孫がいて「ばぁば」と呼ばれていたかもしれません。
冒頭の歴史年表ver1よろしく、そんな世界線もたしかにあったはずなのです。
そうでなくても、どこにでもいるような、ただの大阪のおばちゃんです。
調理師をやっているので、身体にもガタが出始めていて、少しずつ身体が言うことを効かなくなってきた初老のレディ。
大したキャリアもなければ、
スバ抜けて頭が良いわけでもなければ、
性格だけは底抜けに明るいわけでもなければ、
かといって肝っ玉だけは太いわけでもなければ、
特別、美人ってわけでもなければ、
かと言って愛想がめちゃくちゃ良いわけでもない、
片田舎から出たこともなく、
短大卒でキャリアがあるわけでもなく、
早々に結婚して仕事をやめて専業主婦になってしまった、
世間が狭いままの初老のおばちゃん。
これがうちの母親です。
大した力なんてありません、というか並の人間以下です。
よって、人を助けることもできません。
実の娘すらどうすることもできない、そんな大阪のおばちゃん。
それがうちの母親です。
そして僕はふと気づきました。
自分は一体何を期待していたのか?と。
毒親最終決戦の記事にも書いたように、母親とはいろいろ話したし、手紙にもいろいろ書きました。
もともと「いろいろ伝えたけど、もう期待してもしょうがないな」とはうすうす感じてはいました。
でも、今回こうして母親の年齢を考え、これまでの歴史年表を見たときに、もうさらに2段階くらい期待値を下げた方が良いなと思ってしまったのです。
このことが本当に腹の底から腑に落ちると、もう親のせいにしてられなくなります。
親のせい、というか、親を当てにできない、のほうが正確ですかね。
ウチの母親はよく「脳が人と比べて小さいの」とか言ってて、「またアホなこと言ってるなあ」といつも思ってましたが、いや、冷静に考えたら事実だわw
脳が小さいから、まともに話が噛み合わないし
脳が小さいから、周りに問題が起きてても問題だと思えないし
脳が小さいから、すべてを自分にとって都合よく解釈してしまう。
うん、こんな脳みそが足りない母親に何かを期待するほうが間違っている(苦笑)
感情的になるのもバカバカしくなってきます。THE・エネルギーの無駄遣い。
今も実家に住みながら親への文句を言っている人をたまに見かけますが、さっさと親への期待を捨てて家を出ることですね。
そのためにも歴史年表づくりは割とオススメです。
「親にこうなってほしい」→無理ゲーってことが理解できるから(笑)
親への期待を捨て、本当に「仕方ない」と思えているか?
というわけで、恒例の感想コーナーです。
今回もいろいろもらってますが、前回の記事の続きで返信をもらったのと今回の記事と関連があるので、そちらを紹介したいと思います。
返信ありがとうございます
確かに今は自分を確立させる為の趣味や勉学に没頭し、精神状態を落ち着ける必要があると再確認致しました
幸いにも自分には電子工作や3Dモデリング、撮り鉄等の多数の趣味があり、
勉学も成績の事さえ考えなければそれなりに愉しめるので、
他者に一切干渉されない自分の世界という安全地帯はあります
とりあえず、自己否定がある程度落ち着くまではそこで療養しようと思いました
それと、
女性を自分の自己肯定の為の道具ではない
という話ですが、
僕が
「女性を自分の自己肯定の為の道具」
として見ている事に気が付きました
この言葉で、かなり自己中心的だと実感しました
少なくとも、他人に気を遣う事ができる程度には余裕を持てる程度に落ち着く必要がありますね
メルマガ等の記載にはどうぞご自由にお使いください
寧ろあんな文章でも使って貰えるのならば嬉しい限りです
(追記)
感情が高ぶってしまい、否定的な事しか書けませんでしたが、
母は頑張ってくれていた方だと思います
それと、過去の母を思い出すと、
落ち着く事の大切さを思い出しました
僕が中学の時に妹の不登校が原因で、母が専業主婦になった後、
母に中学受験の一件を話したのですが、
母は猛反省したあと、
何度も父を説得し、止めてくれました
父も反省したようで、嫌味は止まりました
高校以降は父の嫌味は殆ど聞かずに生活できています
少し遅すぎましたが、
働いてた頃の母も、
毎晩、人間は嫌いと呟き続ける程度には病んでいたので、僕にまで気を遣えなかったのでしょうから仕方ありません
しかしながら、当時の心に余裕が無かった母は、僕の悲鳴にすら気づけなかったので、心に余裕の無いことに恐ろしさを感じました
返信をもらってから、
落ち着く必要性について考えようとしたら、母のこの事例が頭に浮かびました
精神状態を落ち着け、落ち着く事が必要なのだと再認識しました
自分自身の精神が安定さを失っている限り、他人に気を遣う事すらもできず、
正常な思考能力が奪われている以上、最悪な行動を取り、余計な損失が増えかねない
今すべき事が分かりました
本当にありがとうございます
この文章にも「母が僕にまで気を遣えなかったのは仕方ありません」と書いています。
もちろん、心の底から仕方ないと思えてるならOK。
でも、本当は仕方ないと思えてない気もしますけどね。
本当に仕方ないと思ってるなら、さっさと家から出ていく手段を現実的に考えているはずだからです。
ずっと親への文句をブーブー言いながら、それをやらないところを見ると、まだ親へ甘えていたい、大好きな親に振り向いて欲しい・まともになってほしい・自分に向き合って欲しい・愛して欲しい、でも今さらそれがムリだってことを諦めきれていないんだと思います。
だから親への期待がまだまだ残っている状態ですね。
ちなみに思い出しましたが、この方の母親は大学でサークルに入ることすらいろいろ理由をつけて止めてくる毒親レベルSSRランク(過干渉タイプ)です。
でもいったんは良い方向に思考が向いたとは思います。
自分だけの絶対領域・安全地帯を持つことは毒親問題に限らず重要なことなので、ぜひそのまま突き進んでください。
それが最終的に「モテ」にも繋がるはずです。
最悪繋がらんかったとしても「それが何?」と思えますしね。笑
絶対領域、最強です(笑)
あとは早く実家出るための手段を考えることですね。親のスネをかじってるうちは、親へ文句言う権利がないので。
追伸
今回のGPTとのやり取りはこちらに貼っておきます。
このあと細かく修正指示出したりして完成版を作りましたが、ここまでで十分な完成度だと思います。
記事中でも述べましたが、歴史年表を作り込むことが目的ではないですからね。
恋愛は勉強さえすれば誰でもできます
「恋愛は受験勉強と一緒」というコンセプトで11年にわたり活動してきたオトメケン編集長APPLIが、女性から合格をもらうために対策が必要な5教科7科目を電子書籍にまとめました。
Amazon恋愛ランキング1位獲得記念として、今だけ無料で公開中。ぜひ受け取っておいてください。
>>彼女作りの決定版はこちら
恋愛の5教科7科目ではこんなことが学べます↓
- 第一志望の女性に合格をもらうために必要な5つの傾向と対策
- 女性との会話=英語を話すようなもの!?その真意とは?
- あなたの恋愛偏差値を決定づける2つの変数
- モテたいなら女子力を高めなさい!?女装までした男の話
- 大人の恋愛に「保健体育」が外せない理由と対策方法
彼女を作るためのエッセンスを詰め込んだ恋愛の5教科7科目はこちらから今すぐダウンロードできます。
編集長APPLIからのメッセージ
かつて僕は女性に「キモい」と言われ、初彼女とは半年も付き合ってキスすらできずに振られました。
あまりにショックで1ヶ月ほど寝込みましたが、「このままじゃマズイ」と一念発起。
最大の苦手科目である恋愛を攻略するべく様々な女性の生態調査を続けてきました。
その結果3ヶ月後には童貞を卒業することに成功。さらにその後もたくさんのカワイイ子や美女たちと夜をともにしてきました。
今ではそういった「女遊び」は卒業して、本当に良い恋愛とは何かを追求しています。
そんな超ヘタレだった僕が「モテの先にある幸せ」を研究した成果を一冊に詰め込んだ彼女作りの教科書。
それが「恋愛の5教科7科目」なのです。
もしあなたが以下のような悩みを抱えているなら…
- マッチングアプリで女性からいいね!が来ない
- デートに誘った途端ブロックされる
- ぶっちゃけ女性が怖い
- DTをバカにされ続けるのはもうゴメンだ
- 男としての自信をつけたい
僕も全く同じ悩みを抱えていたので、その気持ちは痛いほどよくわかります。
ですが、恋愛の5教科7科目を読めば、それらの悩みを解消するためのヒントを得られるでしょう。
見事Kindle恋愛カテゴリにて1位を獲得したので、ベストセラー記念キャンペーンとして無料プレゼント中!
もし昔の僕と同じような悩みをお持ちならぜひとも手にとってみてください。
※Amazon本社から警告があった場合、予告なく無料公開を中止します







