恋愛の教科書
Love Optimize Method

Today’s topic
ここが地獄の一丁目

【恋愛の5教科7科目】
Kindleでベストセラーを獲得した彼女作りの決定版
>>>書籍のダウンロードはこちらから<<<

From:東大卒恋愛コンサルタントAPPLI

APPLI
どうも、アプリです。今日は、

・ギャンブル、借金、宗教、不倫、離婚
・何かにすがる前にやるべきこと
・知識だけは裏切らない

こんなトピックでお届けします。ぜひ最後までお付き合いください。

まずはこちらの対談音声をお聞きください。

最強の女性メンタリストYuZuKiさんとの対談
vol.6「脱・恋愛初心者するには?」

この音声では以下の内容について語っています。

1:20 恋愛初心者を卒業するためのファーストステップ
3:10 冷め切った夫婦ができあがるメカニズム
6:30 恋愛に秘められた強力なパワー
7:55 自分の親を全く介護してくれない妻たち
9:20 恋愛にコスパを求めた先に待ち受けている落とし穴とは?
10:50 女の〇〇が人生を左右する

僕も恋愛ゾンビでした・・・。

これまでいろんな話をしてきましたね。

  • ナンパについてくるような女性と
    あなたは本当に付き合いたいのか?
  • あなたにとっての人生のゴールは?
  • どういうパートナーと結婚したら幸せか?

一見すると高尚な話をしているように
聞こえるかもしれません。

あるいは「キレイゴトばかり言いやがって」

そんな感想を持ったかもしれません。

人によってはなんだか上から目線で
イヤな気持ちになったかもしれません。
(偏差値が低いヤツから恋愛を教わるなとかね)

でも、僕も最初からこうだったわけではありません。

僕がいかにモテなかったか?については
すでにお伝えした通りですが

恋愛をガリ勉してモテるようになった結果、
見事に「恋愛ゾンビ化」してしまったのです。

これだけ恋愛ゾンビがどうの、
人生における幸せがどうの、と言っておきながら
本当にお恥ずかしい限りなのですが。

昔は「女を食いまくるのが男の成功だ」とか

「とにかくモテモテになろう!」みたいな
情報発信を割と本気でしていました。

なので今回から、

  • 僕がどのようにしてヘタレ男子を卒業し
  • どうやって数多くの女性と関係を持ち
  • そして、恋愛ゾンビになってしまったのか?
  • 恋愛ゾンビから抜け出すためにやったこと
  • 恋愛ゾンビ化せずにモテるためにはどうすれば良かったのか?

こんな話をできたらなと。

正直かなり長くなると思います。
(何回かに分けてお伝えする予定です)

でも、恋愛初心者がモテる男になるために、
そして理想のパートナーと巡り会うために、
多くの人が通る道のりとなるはずです。

非モテを脱却するヒントも満載なので、
ぜひ心して読んでいただければ。

地獄のような家庭で育ちました

実は、モテない原因と家庭環境は
めちゃくちゃ
密接な関係にあります。

たとえば僕の場合、小さな頃から
父と母はケンカばかりしていました。

父親が怒ってぶん投げたフォークが
突き刺さりそうになったこともありますし、

母がキレて包丁をブン回していたことも
数え切れないくらいあります。

また、愛情という愛情を注いでもらったことは
ほとんどありません。

 

宅浪して東大に入ったときですら
母親は一度も褒めてくれなかったですし、
仕送りも授業料も一切もらえませんでした。

38℃の熱が出ているのに徒歩10分かかる病院まで
歩かされたこともあります(当時5歳です)

だから、
愛情表現を学ぶ機会なんて
全くありませんでした。

恋愛がニガテになるのは
必然だったのでしょう。

いや、むしろ結婚&恋愛に
ネガティブな印象すら
持っていたんだと思います。

だから聞かれてもないのに
「女なんてキライだ!」と言ったりして・・・

わざと恋愛を遠ざけて自分が傷つかなくていい
選択をし続けていました。

その結果クラスの女子に「キモい!」と
言われてしまい、
さらに心に深いキズを負ってしまったのです。

でも、こんなのは僕にとって
「地獄」でも何でもありません。

まだまだ序ノ口。

本当の地獄はここから始まります。

ギャンブル、借金、宗教、

ガン、不倫、離婚

↑これらのキーワードから何を思い浮かべますか?

「転落」とか「末路」とか「悲惨」とか
そういった言葉が連想されるかもしれません。

でも、これらのキーワードは僕にとっては
非常に身近なものでした。

なぜなら、父親がすべて経験してるからです。

 

父親が公務員をやめて
自営業をスタートしたことが
ことの始まりでした。

最初は順風満帆に見えた事業も
2年目、3年目、と年を重ねるごとに赤字が増え、
生活が苦しくなっていきました。

そして、そこからは早かったです。

貧すれば鈍する

なんて言葉があります。

当時の父親を表すのに
これほど的確な表現はないでしょう。

貧乏になると心も貧しくなり
余裕がなくなって頭の回転も悪くなります。

そして、「なんとかして一発逆転を!」と
アレコレ手を出してさらに貧するのです。

まず、父親がハマったのは競馬でした。

自室にこもって仕事してるのかと思いきや
PCの画面には馬の情報がビッシリ並んでました。

ですが、どんなに情報を集めたところで
ギャンブルはしょせんギャンブルです。

ただでさえ正常に頭が働かない状態で
博打を打つなんて自殺行為でしかありません。

この時点できっと借金は相当な額まで
膨れ上がっていたでしょう。

ある時から、

責任者出せや、コラァァァ!!

こんなセリフが僕への子守唄になっていました。

そう、毎晩のように父親が寝室で
誰かに電話をかけているのです。

そして、いつもいつも怒鳴り散らしていました。

せめて他の部屋でやってくれよと思いましたが
そんなことを言っても父親は逆ギレするだけ。

母親も見て見ぬ振り。

僕も黙って聞いているしかありません。

そんな悪夢のような日々が何ヶ月も続きました。

 

でも、これから始まる地獄は
まだまだこんなもんじゃありません。

これは後から聞いた話ですが
最終的に父は借金を踏み倒したそうです。

どんな手段を取ったのかはわかりません。

が、かなり法律的にもグレーなことを
やってのけたんだと思います。

人として超えてはいけない一線。

そのボーダーラインを超えてから
父は加速度的に転落していきました。

救急車を呼んでくれ!

僕が中学1年の頃だったでしょうか。

父親が急に腹痛を訴えだしたのです。

それも身動きが取れないくらいの激しい痛みです。

すぐに病院に運ばれ一命は取り留めましたが
診断結果は、、、

悪性腫瘍、つまりガンでした。

この頃から父は宗教にハマり出しました。

周りの反対もあって怪しい新興宗教から
なんとかクリスチャンに改宗させることは
できたのですが・・・

「人はどうにもならなくなると
何かにすがるしかないのだな」と
心に刻まれた記憶があります。

でも、何かにすがる前に
自分ができることを全部やれよ!

他力本願ではなく、
いま自分ができることを全力でやってみろよ!

今もし父に会えたならそう言ってやりたいです。

というのも、、、

病室からいつも泣いて出てくる母

父の入院中、何度かお見舞いに行きました。

ですが、病室でもまた父と母はケンカするのです。

何を話していたのかは知りません。

でも、お見舞いに行ったら
必ず病室から母が泣いて出てくるのです。

それも1度や2度じゃありません。

病室に入っては母が泣いて出てくる。
そんな光景を最低でも5回は見た記憶があります。

だからといって子どもの僕に
何ができるわけでもありません。

僕(と妹)は母が泣き止むまで
ただひたすらその場で
待つことしかできませんでした。

最初は悲しかったけど、
その悲しいという感情も
だんだん麻痺していきました。

そう、この頃からすでに
僕の感情は死んでいたんだと思います。
(だからこそ女性と“感情”でコミュニケーションを
取ることが最大のニガテ科目となったのです)

極めつけには、こんなことがありました。

知らない女の人が父の病室にいる

ある時、僕と妹が父のお見舞いに
行ったときのことです。

そこに知らない女の人がいました。

すぐにその女性は僕らの姿に気づき、
そそくさと病室を後にしました。

中学生ながらにソレが何を意味するか?
僕にはよ〜くわかりました。

そう、父は不倫していたのです。

お金もないくせに。
母のことは平気で泣かすくせに。

ヨソでちゃっかり女を作っていたのです。

こんなことが度重なり、
僕が中学3年になる頃、正式に離婚が成立。

高校3年の夏休みに父は他界しました。

そりゃ、親のこんな姿を見てたら
積極的に恋愛しようなんて思えるわけないですよね。

中学の頃なんかは

「俺は一生彼女を作ってはいけないし
結婚なんて絶対にしてはいけない。」

「父親の血を引いてる俺は
絶対に相手を傷つけるだけだから」

こんなことを本気で自分に誓ってました。

よくグレなかったね

この話をするとよく言われるのが
「よくグレずに生きてこれたね」です。

まあ、自分でもなぜグレなかったのか?
不思議なくらいなのですが(苦笑)

理由の1つは心の拠り所があったからだと思います。

それが、勉強です。

勉強に没頭していたからこそ
これまでなんとかやってこれたのです。

というよりも勉強だけが僕の心の支えであり
勉強だけが唯一、自尊心を失わないための
最後の砦だったのです。

なぜなら、勉強だけは裏切らないからです。

勉強はやったらやっただけ成績が上がります。

もちろん、伸び悩むこともありました。

でも、基本的には努力した分だけ返ってきます。

体育の授業みたいにもともと運動が
得意なヤツが有利になることもなければ

キライな先生から不当な評価を
受けることもありません。

また、一度身につけた知識は
借金みたいに取り立てられることもありません。

忘れさえしなければ一生頭の中に残り続けます。

だから、勉強だけは僕を裏切らないのです。

そして、打ち込めば打ち込むほど
成績という結果となって返ってきました。

単純にそれが嬉しかったからなのか?

父を反面教師にしていたからなのか?

はたまた人の醜いドロドロした姿を見すぎて
信じられるものが他になかったからなのか?

・・・あるいはその全部か?

何が理由かはわかりませんが、
勉強に打ち込めたことはせめてもの救いでした。

そして、その結果・・・

独学で東大に入ることに成功

1年浪人はしましたが、塾にも一切通わず
東大に合格できたのです。

自宅浪人は本当にツラくてですね。

オンラインゲームに2ヶ月ほどどっぷりハマって
心も折れそうになったこともありました。

でも、最後の最後は

「東大に入ったら絶対にモテる!」

そう自分に言い聞かせて走り抜けました。

最も多感で性欲の高まる時期です。

彼女もほしかったし、
童貞も卒業したかったし、
イチャラブセ◯クスもしたかったのです。

中学の頃の「一生彼女は作らない」という誓いを
破り捨てるときが来たのです。

上京することが決まってからは

「絶対にかわいい彼女を作るぞ!」と

鼻息を荒くして意気込んでいました。

では、実際に東大に入ってから
僕はモテるようになったのでしょうか?

・・・それは次回お話したいと思います。

次回は具体的に僕がモテるために
取ったあらゆる行動がついに明かされます。

どうぞお楽しみに。

今回も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

東大卒恋愛コンサルタントAPPLI