重大発表!!!妻との間に起こった大事件の一部始終を公開
どうも、アプリです。
今日は表題の通り、重大発表が2つほどあります。
1つは僕の人生において、新聞で言うところの一面TOPを飾るような一大事です。
もう1つはそこまでヤバいものではないですが、僕のことを知ってる人からしたら「正気か!?」と言いたくなるような決定事項です(あとモテカ10,000P貯まってる人にとってもかなり関係のある話です)
ザックリとカテゴリ分けするなら
- 1つは過去のことで
- 1つは未来(今後)のこと
です。
いずれにしても僕の今後の発信に大きく関わることなので、僕の情報を今後も引き続き受け取り続けたいと考えてくれている個性的な思考の持ち主と、僕の熱心な信者の方(笑)はぜひとも最後までお読みください。
「テメエのことなんかどーでもいいわ」という方はソッとこのページを閉じてもらって大丈夫です。
というか僕にとっては積極的に公開したい内容でもなんでもないので、むしろページを閉じることをオススメします。
よろしいでしょうか?
それでは重大発表コンテンツ、スタートです!
・・・
僕は人生で最悪の誕生日を2回ほど迎えています。
1回めが20歳になるときの誕生日。初めて付き合った彼女を家に呼ぶも、何もできずに撃沈・・・
しばらくした後半年も付き合ってキスすらできずに別れを告げられた黒歴史が刻まれました。
そして、2回目が2021年の3月です。。。
そう、この年とある衝撃的な事件が起こりました。
僕の人生においてサードインパクト並みの大事件です。
父親の借金から始まった地獄のような家庭環境に、中学時代に女子から浴びせられた「キモい」発言。
そういったトラウマをこれまで幾度となく乗り越えてきたことはあなたもご存知かもしれません。
しかし、今回のはそれらのトラウマを遥かに凌駕し、強制的に上書き保存された、僕にとって超重大な事件でした。
では、僕の身に何が起こったのか?
ある晩のことです。
僕は妻との何気ない日常を過ごしていました。
しかし、そんなささやかな幸せを感じる毎日は妻のある一言から完全に崩壊していきます。
今思えば男にとってこれほど恐ろしい切り出し方はないでしょう苦笑
しかし、当時の僕はいつものように横になってスマホを見ながら「なに〜?」と、聞いてるのか聞いてないかわからないような態度で返事をしました。すると、、、
いつもは天然ボケをかます妻なので、こういう改まった態度はかなり珍しいのです。僕は何事かと思いながら恐る恐る正座することに。
「いや、浮気はしてないはず、、、」
一体どんな発言が飛び出てくるのだろうかとドキドキしながら妻が口を開くのを待っていました。そして、妻がある言葉を口にします。
その言葉が僕の脳天を直撃しました。
当時はあまりのショックに頭が真っ白になり、うまく言葉が出てきません。
気づいたら京都にいました
気づいたときには京都の温泉に浸かりながら呆然としていました。
少し時間を巻き戻しましょう。
あの日の晩。妻から何を言われたのか?
それは、、、
この一言でした。
カンがいい人なら、「まだ言っていない」という発言でピンと来るでしょうか?
そう、これが最初の借金ではなかったのです。
いや、厳密に言うと、借金自体は結婚する前からありました。
冷静に考えればこの時点で人としてちょっとどうかと思うのですが、問題はそれを3回にわたって隠し続けてきたことです。
しかもさらにショッキングなことにバレるたびに額が大きくなっていったのです。
さすがにここでは金額は伏せますが合計するとまあアレです。普通の会社員だったら絶望するくらいの額と言えばイメージはつくでしょうか。
ただ、一応僕も経営者の端くれです。かなりデカイ額には違いないのですが、金額そのものはそこまで問題じゃありません。それよりも
- 借金を結婚する前から隠していたこと
- 1度バレた後もウソをつき続けていたこと
- バレるたびに金額がデカくなっていること
こちらのほうが問題でした。この事実があまりにショックで、にわかには信じられなかったのは言うまでもありません。
しかも、そのバレ方自体もかなり微妙なものでした。。。
机の上に放置されたリボ払いの明細書
さらに時を巻き戻して入籍して1ヶ月後くらいの夜のこと。
当時は2人でシェアハウスに住んでいたので、何日も共同スペースにある机の上に放置されたハガキが目に付きました。
「いらないなら捨てるよ?」と聞いたところ、「いいよ」と妻から返事。ただ、そうは言っても大事な書類だったら悪いので中身を確認します。
そこに記されていたのが約64万円の返済計画の文字。
当然「なんだこれは!!?」となりますよね。もちろん、そこから話し合いです。
- リボ払い=借金であること
- 僕が父親の借金で苦労した話
- 一体何に使ったのか?
などなど、1つ1つ詰めていきます。
実は、妻には物販ビジネスに挑戦してAmazonアカウント凍結をくらい、売上金を完全に凍結された時期が3ヶ月くらいあります。
そのときの負債と生活費がリボ払いに回っていってしまったとのことでした。さらに加えて「リボ払いが借金という認識はなかった」とのこと。
少し耳を疑うような内容ではありますが、最終的に「まあマネーリテラシーが低いとこんなものか」と僕もその時は納得しました。
とはいえ、年間15%もの利子がつくリボ払いほどもったいないものはありません(単純計算で年間で9万円ずつ借金が増えます)
なので、その時は全額僕が肩代わりしました。
また、そのとき妻は派遣のバイトしかしてなかったので、正社員に戻ることを約束。これで手打ちです。
その後妻は正社員に戻ることに成功し、肩代わりした分のお金も返ってきました。その後ハワイにてプチ結婚旅行&前撮り。例の写真ができあがります。
ここまでの話を聞けばめでたし、めでたし、ですよね?
でも、残念ながら僕の地獄のような半年間はここから始まるのです。
さらに1ヶ月後100万円の明細見つかる
ハワイ旅行を無事に終え(いや、本当は親同士が揉めて一悶着も二悶着もあったのですが、今回は本筋とズレるので割愛します・・・)
平穏な日常が戻りつつあったある日。またしても机の上に放置されたままの書類がありました(本当に学習しないというか、今思えばこの管理能力の低さが全ての元凶ですよね)
そして、同じように封を開き中身を確認すると、今度は金融公庫からの借り入れ約100万円分の明細がありました。
当然これには僕も黙ってられません。
父親の借金がキッカケで地獄のような学生時代を過ごしたトラウマも蘇り、さすがの僕もこのときは泣いてしまいました。
何時間にもわたる話し合いの末、涙を流して僕は彼女に訴えます。
「他にもあるなら今すぐ全部見せろ」
「クレジットカードの明細全部出せ」と。
しかし、妻は頑なに見せたがりません。
「嫌だ」の一点張りです。
忘れないでほしいのは、これが結婚してまだ2ヶ月足らずの出来事だということです。
僕も両親が散々に揉めて離婚したプロセスを見てきた人間です。だから、自分も同じになりたくないという思いがありました。
「せっかくできた家庭を親みたいにブチ壊したくない」という無意識の働きが僕を躊躇させたのでしょう。このときはまだ離婚という選択肢はありませんでした。
今振り返れば本当に甘かったよなと思うのですが、僕はソレ以上妻を問い詰めることができなかったのです。
もちろん、これで借金が全部だとは思っていません。ですが、さすがにこれ以上デカイ額の借金があるとは想像もしませんでした。いや、想像したくなかったのかもしれません。
しかし、このときの決断が最終的に最悪の結末を招くことになるのです・・・
時を戻して再び京都
温泉に浸かりながら「自分の何が悪かったんだろう?」とただひたすらに自分で自分を責めるような自問自答を繰り返していました。
妻に物販ビジネスを勧めたのは僕というのもあって「僕にも責任があるんじゃないか?」そんなことを考えては「いや、しかし・・・」と頭の中を思考がグルグルと駆け巡ります。
100万円の明細を見つけてから約1年半。僕と妻は何事もなかったかのように幸せな毎日を送っていました。
しかし、その幸せも妻の爆弾発言まででした。
そして、その借金はそれまでとは比較にならない金額でした。
また、2回目の借金発覚後、僕は妻にマネーリテラシーを身に着けさせるため、毎月のように帳簿というか家計簿をつけさせていました。
しかし、それすらも期日によく遅れていた上に、借金を隠すために裏帳簿までつけていたのです。
これは本当にショックでした。
僕の中(表の帳簿)では順調に減って行っていたはずの借金。ですが、裏帳簿上では全く減っていなかったのです。
それもそのはず。その中身は全てキャッシングとカードローンだったのですから。
年利15%以上です。返しても返しても減るはずがありません。毎年ウン十万円単位で利子が増えていくのですから・・・
「どうするつもりだったの?」と聞くと、
今なら「アホか、コイツは」で終わりなのですが、そのときはもう頭がパニック状態。さすがの僕も言葉を失いました。
さすがに思考が整理できないので、「ちょっと気持ちを整理させてほしい」ということで僕は1週間ほど家をあけ京都に旅立ったのでした。
人生で一番泣きました
この京都に旅立った日は本当に泣きました。全米の涙を1日で流したと思います。
悲しいけど、何が悲しいのかすらもわかりません。
- 裏切られた気持ち
- ショックな気持ち
- それでもまだ好きだという気持ち
- でもやっぱり許せないという気持ち
- 何より、これからどうしようという気持ち
いろんな気持ちが入り乱れてもはや軽いパニック状態です。
正直ここからの1ヶ月くらいは、心が苦しくて苦しくて仕方なかったです。
人はこんなにも胸が締め付けられることがあるのか!と。
- 両親が散々ケンカしていたときも
- 父親が借金作ってめちゃくちゃに家庭崩壊したときも
- 同級生の女子に「キモい」と言われたときも
- 現役で東大に落ちたときも
- 初めてできた彼女にキスすらできずに振られたときも
ここまでのインパクトはありませんでした(最初にサードインパクト級と言ったのはそういうことです)
家に帰ると妻が・・・
1週間ほど京都で過ごした後、一度家に帰りました。
少しだけ気持ちも落ち着いたので、ひとまず「なんとかやっていこう」という結論を出したのですが・・・
次の1週間で限界が来ました。
妻もやはりバツが悪いからなのか、この2ヶ月くらいは掃除やら洗濯やら片付けやら、とにかく家事を頑張っていました。
このシーンだけを切り取って見ると彼女は深く反省していて、しおらしくて良い妻だなと思うかもしれません。しかし、
頑張られれば頑張られるほどツライ
・・・という感情に僕は襲われました。
当時はなぜツライのかもわかりませんでした。
でも今ならその感情の招待がよくわかります。
要するに「本当にロクでもない嫁」だと思わせてほしかったのです。
- 家事もしない
- ロクに働かない
- 借金グセがある
こんな相手だったら間違いなく秒で別れていたと思います。スッと離婚届を差し出したでしょう。
でも、そうじゃない。表面的には良い奥さんを演じてくれている。
部屋の隅々までキレイにしてくれるし、リモート会議が入るときにはデスクの周りを髪の毛一本落ちないように掃除してくれるし、お風呂もキッチン周りもトイレもめちゃくちゃピカピカなのです。
結婚当初からは想像もつかない光景です。
でも、そんな姿を見たら余計に別れるのがツラくなるじゃないですか。このまま一緒に暮らせば暮らすほど別れるのがツラくなる、と直感的にわかっていたのでしょう。
何より、今さらちょっと家事を頑張ったくらいで許せるほどの軽い問題ではありません。というか、そもそも本気出せばできるんだったら最初からやれよという話でもあります。
もちろん、当時はそこまで冷静に分析できていたわけではありません。なんとなくモヤモヤとした違和感だけが心の中で膨れ上がってくるのです。
そしてこの違和感に耐えられず、ついに僕はある決意をしました。
気持ちの整理をするため別居したい
そう妻に伝えました。
厳密に言うと、妻と妻の両親の3人の前で涙を流しながらそう告げたのです。2021年3月のことでした。
ちなみに妻は自分の親にもずっと借金があることは黙っていました。なので自分の親より先に僕にカミングアウトした形になります。
もちろん結婚後にできた借金ならそれもわかるのですが、そもそも結婚前からあった借金です。
まずは自分の親に伝えるのがスジでしょう。
ということできちんと相手の親に伝えてもらい、僕・妻・妻の父・母の4人での話し合いとなったのです。
そこで僕が告げたのが先ほどの別居したいという旨でした。
まあ、向こうのお義父さんはかなりムッとしていましたがね。お義母さんは割と僕に理解がある感じでした。
そして始まる地獄の6ヶ月間
ここからが僕にとっての本当の地獄でした。
どれくらい地獄のような気分を味わったかというと、たった半年の間に沖縄に3回・北海道に3回も行くくらいには精神的に追い詰められていました。
特にキツかったのは最初の沖縄滞在の後です。
気持ちの整理もしたかったので2週間以上滞在したあと、家に帰る頃には新居から妻の荷物が半分以上なくなっていたのです。
そりゃそうです。僕が別居したいと告げたのですから。
でも自分で決めたこととはいえ、かなり心に来るものがありましたね。
スッキリした家の中と同じくらい、心にポッカリ穴が空いたような気分でした。
メンヘラ化してたと思います
ウソをついても仕方ないので正直に言いますが、この半年間はマジでメンヘラってたと思います。
この半年間はあちこち飛び回っていただけでなく、知人・友人10人以上に相談しまくりましたし、メンタリストYuZuKiさんにも何度も何度も相談に乗ってもらいました。
さらに恥ずかしいことに、変な新興宗教団体にもハマりそうになりました(いや、本当に危なかった。ここの下りだけでもさらに1ページ追加しないといけないレベルなのでさすがに今回は割愛します・・・)
時間が解決してくれると思いきや、日に日に心の穴が大きくなっていくのです。
軽く情緒不安定だったと思うし、頭では「こうしなきゃ」と思っても、しんどくて身体が言うことを聞いてくれない日もたびたびありました。
いや、まさか自分がこんなふうになる日が来るなんて・・・
この間は本当に地獄でしたね。
そして、1回目の話し合い
同年6月下旬。別居してから初めて妻と話し合いの場を設けました。
正直もう何を話したかあまり覚えてません。
なので、当時のメモを振り返りながら書いているのですが、どうやら僕は話し合いが終わったあとかなり悲しい気持ちに襲われたようです。
じゃあ何が悲しかったのか?
それはきっとまだ相手のことが好きで、心の中に未練や情があったからでしょう。
と当時のメモに書かれています。
そりゃそうです。ほんのちょっと前までは仲良く幸せに暮らしていたのですから。
僕も親の悲惨な末路を見てきたので、家庭を壊さないよう必死に努力してきました。
フィリピンでのプロポーズに始まり、結婚記念日も誕生日も欠かさず盛大にお祝いしました。妻がしんどそうなときは家のことをほとんどやってあげてましたし、そうでなくても妻のほうが帰りが遅いのでよく料理を作って妻の帰りを待ってました。
それもこれも妻の
という発言を受けてのことです(今思えばどの口が言ってるんだという話ですが)
もちろん妻は謝った上で「元に戻りたい」と言っていますし、僕がその提案を飲みさえすれば表面的には万事解決です。
しかし、頭ではその決断が良くないことはわかっています。そして、直感的にも別れが近づいていることがなんとなくわかっていたのでしょう。だから悲しかったのです。
- 別れたくないという感情
- 許せないという感情
- 嫌いという感情
- でもやっぱり好きという感情
- 「やり直せそうにないよな」と思う心
- 「一方で一度戻って見るのもアリか」と思う心
- 「そうは言っても無理だろう」という理性の声
ものすごい葛藤の中で、ただただ別れることになる未来を想像しては悲しんでいました。
特に何よりもキツかったのは、
決定権が全て自分にあるということ
鬼滅の刃風に言えば、生殺与奪の権が100%自分にある状態なのです。
経営者としてこれまで色んな決断を下してきましたが、これほどまでに重い決断はありませんよね苦笑
いっそのこと僕の浮気が原因で相手に離婚届を叩きつけられたほうがどれだけラクだったか。
だからこそ半年もの間、悩みに悩み倒したのです。
そして、出した結論
そのさらに1ヶ月後。2回めの妻との話し合いの場で僕は覚悟を決めました。
「離婚しよう」
テキストにするとたったの5文字。
なんともあっけない一言です。
でも、このたったの5文字がどれほど重い言葉か。僕が一番よく知っています。
妻もさすがにこの頃には自分がやってしまったことの重大さに少しは気がついていたのでしょう。その5文字を受け入れる態勢はできていました。
口論になることもなく、もつれることもなく、離婚届に捺印。
2021年8月。結婚してからちょうど2年目の夏に正式に離婚届が受理されました。
そこからは急ピッチで家を引き払い、僕は心の傷を癒やすためまた沖縄へ(笑)
そこから9ヶ月ほど沖縄に住んで今現在に至ります。
離婚を決意できた理由
先ほど「妻もさすがにこの頃には自分がやってしまったことの重大さに少しは気がついていたのでしょう」と書きましたが、最初は全く何が悪いかすらもわかってませんでした。
本当に悪いと思っていたら真っ先に親に報告してるはずだし、そもそも結婚前に打ち明けますよね。
少なくとも僕がその立場なら「実はこれだけの借金があって、いついつまでには返済する予定だから結婚はまだ待って欲しい」と自分から打ち明けるでしょう。
それが誠意というものだと思います。しかし、彼女にはその誠意がなかった。しかも、当初出てきたのは、
「これが借金だとは思ってなかった」
「5年くらいかけてゆっくり返すつもりだった」という言葉。
いやいや、5年て子どもができたらどうやって返すつもりだったの?という話です。
さらに内訳は結局最後の最後までブラックボックスだったのですが、ザックリ聞いたところ一緒に行ったアメリカ一周旅行の費用もけっこう大きかったみたいです。そのことについて聞いたら
「だって一緒に(旅行に)行きたかったんだもん」
これにはホント聞いて呆れましたよ。
さらに100万円の金融公庫からの借り入れは物販のコンサルをやっている人にアドバイスされて借りたみたいなのですが、その100万円はそのままコンサル費として注ぎ込んでしまっていました。
あまり別れた妻のことを悪く言いたくはないのですが、ちょっとアホすぎますよね・・・。
この金銭感覚だと将来不安でしかありません。
だからといってその分家事をしっかりこなすわけでもなく、彼女が家事を頑張っていた期間は別居するまでの2ヶ月間だけでした。
何よりもずっと裏帳簿までつけて借金を隠してきた事実は、あまりにも信頼関係を著しく損なうものです。
少なくとも
- 結婚前
- 1回目にバレたとき
- 2回目にバレたとき
計3回も打ち明けるチャンスはあったのに、彼女は隠す方を選んだわけです。
とても信用なんてできませんよね。この感じだと子どもができてからさらに大きな借金を抱えるリスクが一生ついてまわる。
これが最終的に離婚を決意した(できた)理由です。
まあ、それでも6ヶ月もかけて迷いに迷いましたけどね(苦笑)
あとはメンタリストYuZuKiさんにも何度も相談に乗ってもらいました。たぶん時間にすると軽く20時間くらいは話を聞いてもらったんじゃないかと思います(汗)この場を借りて改めてお礼申し上げます。
そして、LOSの存在も大きかったですね。僕の中で「パートナー選びが一生を左右する」というコンセプトが今回の事件でさらに確信に変わりました。
もしLOSを運営してなければ、メンタリストYuZuKiさんと一緒に仕事してなければ、あのままズルズル離婚せずにもっと悲惨な目にあっていたかと思うとゾッとしますね。
人生最大の汚点
離婚してしばらくは、いや離婚を決断する前からそう思ってました。
そもそも僕にとって離婚というのはこの世で一番やりたくなかったことです。
それは親が散々に揉めて揉めて揉めまくって、ようやく離婚したプロセスを見てきたからです。
何よりこれまで「オヤジのようには絶対にならない」と父親を反面教師にして生きてきたので、親と同じ称号(バツイチ)がつくことが最大の屈辱でした(これも離婚を決意するのに時間がかかった理由の1つです)
だから公開するまでにかなり時間がかかったのですが、ようやく気持ちの整理がついて公開するに至ります。
たしかに結果的には今回の結婚は大失敗です。もう笑っちゃうくらいボロボロになりました。
でも、彼女から学べたことはとても多いです。
- 感情を表現することの大事さ
- 甘えたり甘えられたりする関係性
- 愛し・愛されることの喜び
そういったものを学ばさせてもらいました。
そして、結婚前後のいろんなイベントのおかげで僕の家庭のゴタゴタもだいぶ整理することができました。
母親の彼氏とガチケンカしたりとかね・・・
※ちなみに別居中も母とその彼氏とひと悶着ありました。子どもが一番苦しんでるときにさらに追い詰めるなんてひどい親ですよね苦笑
なので、一応彼女には感謝しています。
また、苦悩の日々を経験したおかげで人の痛みがよくわかるようになったので、前より人に優しくなれましたね(笑)
今後について
これからはみなさんと同じ立場の同じ1プレイヤーです。
まあ、さすがにしばらくは彼女すら作る気になりませんが(思えば20歳くらいから恋愛活動を始めてほぼ彼女が切れたことはなかったので、そういう意味でも一度休むべきですね)
しばらくは仕事に集中してバリバリやりつつ、もうちょっと気持ちの整理がついたら謙虚にイチプレイヤーとしてやり直していくつもりです。
正直、この話は公開するかどうかめっちゃ迷いました。
一般的に見ればただのバツイチでしかないのですが、普段から
恋愛ゾンビがどうだとか
結婚は人生で最高額の買い物だとか
そんなことを言っておきながら
自分が失敗しているわけですから(苦笑)
今もこれを書いていて顔から火が出るくらい恥ずかしいです。
それにこの発表がキッカケで離れていく人もきっといるでしょう。
でも、コレを隠しながら今後も情報発信を続けていくのはあまりにも不誠実だなと思って公開することに決めました。
もし今回の話を聞いて少しでもなにかのヒントになったり学びになったりしたら嬉しいです。
「彼女との結婚考えてたけどもうちょい慎重に考えよう」と思ってくれたなら書いた甲斐がありますしねw
いま彼女がいる方・既婚者の方。
どうぞ僕のことを笑ってやってください。
まだ彼女はいない方。
これから一緒に頑張りましょう。
それでは。
あれ?もう1つの重大発表は?
はい、1つ目が衝撃的すぎてどうしても霞んでしまうのですが、実は今年の3月から転職(就職?)活動をはじめまして。
7月1日よりとある有名企業のグループ会社にて正社員として働くことになりました@東京
ザックリ言うとAIの開発とかをやってるIT企業ですね。
就活は一切せずに学生時代から起業してやってきた僕にとってはこちらも人生の一大事レベルで大きな決断です。
なので割とやっていけるか不安です(苦笑)
転職活動も相当頑張ってやったのでその辺の話もまたどこかでできたらいいですね。特にLOS生は転職に成功してる方も多いですし。
タダでは転ばねえぜ。。。
「え、じゃあ恋愛の情報発信やめちゃうの?」
いいえ、そんなことはありません。
副業OKを条件に転職活動してましたので、今後も問題なく続けていきます。
ただ、かなり忙しくなることは間違いないので、どうしても頻度は下がってしまうと思います。
ま、その代わり、恋愛だけにとどまらず面白い情報をお届けできるようになると思います。そういう意味では楽しみにしていてもらっていいんじゃないかと。
そもそも仕事やキャリア観と、恋愛や結婚って切っても切り離せない関係にありますから(もはや恋愛テクニックの効果って全体の10%未満じゃないのと最近思ってます)
以上、重大発表でした。
PS
気づけば10,000文字近くに。ただ、これでも全体の流れを意識してかなり抑えたほうです。つまり本当はもっと色々なことがあったんですけど、それ書くと2倍・3倍の分量になってしまうのでね汗
まあ、その辺の詳細は直接僕と話す機会があればそのときにでも聞いてください。
ちなみに実際の僕と会ったことのある読者さんとのことを記事にした内容はこちらにあるので、興味があればぜひ読んでみてください。